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トップライトを浴びて RWY16 にアプローチ。
MH の A300 は A330 の導入と入れ替わりに1995年までに全機退役しました。
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シンガポールの独立によって Malaysian-Singapore Airlines のマレーシア国内線と一部の国際線を継承した Malaysia Airlines は国際線の拡充を進め日本には 1974年に就航を開始しました。
RWY34 エンドの 9M-MHC。第1回目のマレーシア観光年 Visit Malaysia Year 1990 のタイトルがつけられています。
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B747-400 によって日本路線を拡大してきた Lufthansa も A340 の導入によりフランクフルトー成田線のみが B747 での運航となっていましたが、今年6月に A380 が同路線に就航。8月からはデイリー運航となることから、また1社成田から B747 が消えていくことになります。
この D-ABVD "Bochum" もまだ現役なのにな…。
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RWY16 にラインアップする D-ABVC "Baden-Württemberg"。1989年10月に導入された -400 の 4番機ですが、今も現役で飛んでいるようです。
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B747-400 の導入と相前後してカラースキームの変更が行われました。垂直尾翼の鶴のシンボルマークは引き継ぎつつホワイトベースのすっきりとしたデザインに変わりました。
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今はエンジンも塗装する航空会社が多いですが、金属感むき出しのエンジンもいい雰囲気を醸し出していますね。
D-ABYN は旅客型のまま 1990年に Alitalia へ売却され I-DEMY として運航された後、現在はストアされているようです。
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RWY16 ファイナルの D-ABYS。
1994年に -200(SF) 化された後は Atlas Air ー China Airlines ー Atlas Air ー Polar Air Cargo ー Tradewinds Airlines と活躍の場を得ています。
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先だってフランクフルトー成田線に A380 を就航させた Lufthansa も1980年代は多くのクラシックジャンボを飛ばしていました。
何とも重々しい雰囲気の旧塗装。いかにも ドイツ って感じですね。
D-ABYT は 1990年に -200(SF) にコンバージョンされ、その後は貨物機として複数のキャリアで今年の4月まで運航されていたようです。
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RWY16 をローリング開始する EP-ICC。
現在は 成田で Iran Air のフレイターを見かけることはなくなりました。
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日本からは電子機器や精密機器を運んでたと思うのですがイランからは何を航空貨物として乗せてたんでしょうね? もしや高級ペルシア絨毯とか…。(^^
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RWY34 エンドの B747-200F。米国からの経済制裁が続く中でイランと日本の関係は良好でカーゴフレイターも定期的に就航していました。
EP-ICC はイラン空軍が導入し、その後 Iran Air にリースされた機材です。
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RWY16 ファイナルの EP-IAC "Fars"。
2004年1月に北京首都国際空港でランディング時にノーズギアを損傷し修復はされたものの現在はストアされているようです。
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RWY16 へアプローチする B747SP。
垂直尾翼に描かれたマークは伝説上の生物グリフィンをモチーフにしたものでペルシア語ではホマと呼ばれています。
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日本には 1974年の羽田時代に就航した Iran Air、当初は B707 での運航でしたが1980年代に入ると B747SP が就航しました。
この EP-IAA "Persian Gulf" は1976年3月に導入された1番機の機材ですが 35年以上経った現在も現役機として活躍中です。
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2005年に Chapter 11 を申請し再建に着手、2007年には脱却完了しましたが単独での生き残りは難しく翌年に Northwest との合併を発表し世界最大の航空会社が誕生することになりました。
機材の共同使用やカラーリングの変更をすすめ最終的には2010年1月に統合が完了しました。
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日米航空協議の進展に伴い成田ーロサンゼルーオーランドや名古屋ーポートランド、成田ーニューヨークと路線の拡大を行いましたが、2001年の同時多発テロによる需要低迷から一時期は成田ーアトランタ線のみとなっていました。
ずらりと並ぶ B747 をバックに RWY16 へのファイナル。
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Northwest との統合を経て 世界最大の航空会社となった Delta ですが、国際線への進出は1980年代からでした。
日本線の開設も 1987年3月の成田ーポートランドーアトランタ線からであり TriStar を使用していました。
RWY16 にアプローチする N762DA です。
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ツポレフ設計局が開発した尾部3発エンジンのターボファンジェットの Tu-154 ( NATO 側コードネームは Careless )。1,000機以上の生産が行われ旧ソビエトの旅客機としてはベストセラー的存在となっています。
福岡空港に飛来した CCCP-85216 は装備の近代化を図った Tu-154B で Aeroflot の後にはハバロフスクを拠点とする Dalavia Far East Airways に移りました。
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RWY16 手前でホールドする Il-76。
機首部には通常のコクピットの窓に加えて下方にも窓がありますが、これは航空航法士用のスペースとなっています。
機銃でも備えてありそうな雰囲気を醸し出していました。(^^;
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高翼&4発という特徴をもつ Il-76 、ソ連の航空機として4発のジェットエンジンをパイロンで吊るすという方式を初めて取り入れた機材でした。
この機材はカラーリングが赤になっていますが、これは極東アジアやシベリアの雪の中でも見分けがつきやすいように塗られた「ポーラーカラー」と呼ばれるバージョンです。
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冬期のシベリアや極地といった厳しい条件下でも運航できる性能を目指して開発された大型ジェット輸送機の Il-76 (NATO側コードネーム Candid )。
日本にも貨物チャーター機としてたびたび飛来しました。RWY34 にアプローチする CCCP-76473、軍用の Il-76MD を民間用に改良した Il-76TD です。
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RWY 34 でアプローチ中。
ソロヴィヨーフの4発尾部エンジンはなかなか勇ましい音をたてていました。現行の騒音基準には決して合致しないでしょうね。
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RWY 16 から滑走開始。地上ではありますが当然ながら尾輪は収納されています。 この CCCP-86518 はソビエト崩壊ーロシア成立に際して RA-86518 となり、Aeroflot を退役してからもロシアの新興キャリアである VIM Airlines や Alpha Airlines で運航されました。
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昭和の終わりから平成にかけて周囲がワイドボディ機に移っていく中で Aeroflot はナローボディの Il-62M での運航を続けていました。
黒煙を吐いて浅い上昇角度で離陸していく姿です。
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多くの航空会社が機体のカラーリングを変えていく中で American は1960年代後半に導入したシルバーのボディに青・白・赤のチートラインという姿を現在も維持しています。だからといって古くささを感じることもなく飽きのこないスタイルだと思います。
日本路線で活躍した2機の B747SP はともに 1994年に売却されました。
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今は成田に5便/日を飛ばす American Airlines も日本への就航開始は後発で 1987年からダラスー成田を運航するというものでした。747 LuxuryLiner と名付けられたN601AA & N602AA の B747SP は成田路線専用機という位置づけでした。
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フランス第2の航空会社だった UTA ですが、Air France との統合により 1992年にその歴史を閉じました。成田ーヌーメア線はしばらく AF での運航が続けられた後 Air Calédonie International に引き継がれています。
RWY16 にラインアップする F-BTDD。Air France、AOM、Aerolyon とフランスのキャリアだけで活躍した機材です。
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ボディをホワイト、尾翼をブルーに塗り分け、ボディ前部に大きく UTA のロゴを入れるというカラースキームはビルボードスタイルのはしりでした。ドア部分をグリーンにするというワンポイントも斬新でしたね。
F-BTDB は 1992年に統合とともに Air France に移った後、9社もの航空会社を渡り歩いた機材です。
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主にフランス本土とアフリカやインド洋の旧フランス植民地、海外県とを結ぶ国際線キャリアだった UTA。オセアニア地域にも就航しており成田からニューカレドニアのヌーメアへの路線を運航していました。
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RWY16 にラインアップする HB-IHL。こちらも 12年間の運航の後は Northwest Airlines、ATA Airlines、World Airways と活躍の場を変えていきました。
Swissair は 1990年代後半にはクロスエアやバルエアを傘下に置き、サベナ、AOM、LOT、TAP にも資本参加してクオリフライヤーグループの中心企業となりましたが、その後経営状況が悪化し米国同時多発テロの影響もあって2002年に倒産しました。
現在はクロスエアが中心となって設立された Swiss International Airlines が国際線を運航しています。
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こちらは RWY34 からのアプローチです。
HB-IHO、1982年ー1982年と 10年間の運航の後、同じくContinetal Air Lines へ売却されました。
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この HB-IHM にはマッターホルン等の峰々を要しヨーロッパアルプスの心臓部とも呼ばれるスイスの州(地方)である Valais のシップネームがついていました。
Swissair で 12年間使用された後 1992年には Continetal Air Lines へ移りました。
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スイスの国営会社として設立された Swissair。堅実な経営ぶりで業界内の地位を築き成田からの路線も人気でした。
夕日を浴びて成田の RWY16 にアプローチ中の DC-10-30 です。
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この JA8765 は 22年間日本の空を飛び回り 1992年に TCLA に売却されモハビでストアの後、1993年にはトリニダードトバコの Air Caribbean に移っていきまいした。
日本国内航空、東亜航空、東亜国内航空、日本エアシステム、日本エアコミューターと飛び続けた JAS の YS-11 も 2006年9月の沖永良部ー鹿児島 JAC3806便が最後の運航となりました。
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JAS のレインボーカラーに塗られた JA8765 です。
141機目の製造機で 1970年に東亜航空が導入、翌年 TDA となった際に「やしま」のシップネームがつけられましたが、この JAS カラーに衣替えした際に再びシップネームがなくなりました。
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JA8675「きりしま」。
1967年に初飛行し日本国内航空に引き渡された 37号機です。
1996年にKFS Aviation に売却されその後はフィリピンで活躍しました。
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頭上を通過する YS-11 です。
当時の羽田空港は RWY16R への着陸が普通に行われていたので、京浜島つばさ公園の南端からこのような写真を撮ることができました。
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国産初の民間旅客機として開発された YS-11。1964年に型式証明を取得し東京オリンピックの聖火空輸という任務を担いました。
この JA8641 は5機目の製造という初期の機材で 1965年4月に当時の東亜航空に納入されました。その後日本国内航空との合併によって東亜国内航空( TDA )となった際に「みやじま」のシップネームが付されました。
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8機が導入されその高い離着陸性能から滑走路の短い旧北九州や松本、伊丹の A 滑走路での主役ともなった MD-87 ですが、JAL との統合後は機種統一の流れに抗することは出来ずに 2007年から2008年までに全機が退役しました。
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RWY22 を短い距離でエアボーンし上昇中の MD-87 JA8278。
MD-87 の導入初号機で 1988年から 2007年まで運航され、その後はタイの One-Two-Go へ売却されました。
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旅客機は基本形の後は胴体をストレッチして乗客数を増やすという戦略をとることが多いのですが、逆に MD-80 を 6m ほど短胴化したのが MD-87 です。小型化する一方でエンジンは MD-80 と同じものを搭載しているため離着陸性能の優秀さが際立っていました。
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JAL との統合後もローカル路線を活躍の場としていた MD-81 も現在の運航機材は6機までに減少しました。さらに会社更生法の下で再建を進める中で今年の9月末までに全機が退役する計画が打ち出されています。
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こちらの JA8260 は 1987年に導入された 丸尻タイプの最終機です。TDA - JAS - JAL - JEX と運航され、2009年9月に退役しました。
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1985年からは本来の統合型コクピットを搭載した MD-81 の導入が開始されました。全部で18機導入された MD-81 のうち1987年までの 5機はテールが円錐形の丸尻タイプ、1988年からの 13機は空力を考慮した平尻タイプの機材となりました。
この JA8262 は平尻タイプの方で JAL との統合後も使用され JEX 運航の機材として 2010年4月の退役まで運航されました。
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DC-9-81 と MD-81 は基本的には同一の機種ですが JAS ( TDA )では 1981年に導入した 8機についてはパイロットの相互乗務を想定してコクピットアビオニクスを従来の DC-8-41 と共通のものとした -81 を選択しました。
写真の JA8468 も Midwest Airlines へ売却されましたが、こちらは -82 型に改修されています。
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マクドネル・ダグラスが B727-200 に対抗するため機体をストレッチして 170名規模の大きさにしたのが DC-9 Super 80。JAS もこのシリーズの基本型である -81 を 1981年から就航させました。(この JA8460 は 1999年に Midwest Airlines に売却。)
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JAS ( TDA )の国内三番手の航空会社としての基盤作りに貢献した DC-9-41 フリート。その後 DC-9 super 80、MD-81、MD-87、MD-90と発展し最終的には 総計76機もの機材が使用されました。
この JA8450 は1997年1月の DC-9-41 によるラストフライトを担った機材でその後は貨物機に改修され N963AX として ABX Air に売却されました。
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DC-9-40型は SAS の要望により開発されたストレッチ型で SAS と TDA のみが導入した機材です。
TDA では標準座席128席の仕様で 22機が運航されました。
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日本国内航空( JDA )は JAL への全面委託によるジェット機(B727と CV-880)運航を行っていましたが、東亜航空との合併後に TDA として初めて自前のジェット機を導入することとなりました。
白羽の矢が立ったのがダグラスの短距離用双発機 DC-9-41 でした。TDA ではこの機材をフラッグシップとして位置づけ Red & Green の新塗装を採用しました。
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もう1機の JA8551 もピーターパンこども基金のスペシャルカラーで飾られたりしましたが、JA8550 と時を同じくして Northwest → Omni Air と売却の道を辿りました。(写真のレジは不詳です。)
JAS の DC-10-30ER は本来の性能を十分に発揮する場もなく、わずか 12年で日本の空から消えてしまいました。
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1989年2月にようやくチャーター便として国際線で使用された DC-10ですが、1990年に成田ーシンガポール、1992年に成田ーホノルルが開設され念願の長距離路線に就航しました。ところが集客が思うようにいかずシンガポール線は5年、ホノルル線はわずか2年で撤退となりました。
1997年には JAS 100%出資の国際線チャーター会社 Harlequin Air に移管されましたが、こちらもうまくいかず 2000年には路線からリタイアしNorthwest Airlines へ売却、現在は N522AX として Omni Air International で使用されています。
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この写真の1号機 JA8550 は羽田ー那覇に投入されましたが、2号機の JA8551 は使い道が見つからなかったため受領と同時に大韓航空に1年間リースされるということとなりました。
コーポレートカラーだったレインボーカラーをダグラスの飛行機に施すことには当初エアバスが難色を示したとのことですが、就航時にはどうにか承諾が取れたようです。
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長距離国際線用機材として1988年に導入された DC-10-30ER ですが、日米航空交渉がまとまらないためホノルル線の開設が遅れてしばらくは国内線での運航となりました。写真は羽田での駐機中の姿です。
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JAS 初の国際定期便である成田ーソウル線は A300-B4 でスタートしました。
JAS ( TDA ) では 9機の A300-B2 を導入したものの旅客増加に追いつかず A300-B4 を発注しようとしましたが、すでにエアバスでは A300-600型の生産に移行していたため新造機の導入が困難になり中古機を購入してしのぐこととなりました。
この JA8277 は Singapore Airlines → Hapag-Lloyd → JAS と移ってきた機材です。
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青空をバックの JA8472。 2001年には JAS ( TDA )発足30周年記念の Friendly Bird として子供たちの描いた鳥の絵を纏ったこともありました。
2003年にトルコの Fly Air に売却されましたが、TC-FLE のレジで未だ現役のようです。
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それまで単通路の機材のみを使っていた JAS( TDA )が導入したワイドボディ機が A300-B2 でした。JAL や ANA ( TDA も含めて)がボーイング、ダグラス、ロッキードといった米国機を運航する中、初めての欧州製ジェットの採用で 1981年の就航開始時には「空の女王 ヨーロピアン・エアバス」のキャッチコピーが使用されました。
JAS のレインボーカラーはもともとエアバスのコーポレートカラーだったものを採用したという話は有名ですね。
(バックには懐かしのモヒカン B747SR が写っています。)
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離陸上昇。
この時点では -200B だった B-1888 は 1999年に貨物改造機(SF)に転用され B-18755 となり、2002年には Kalitta Air に売却されました。
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羽田空港旧ターミナルの国際線スポットにスポットインしてくる B747。
当時の羽田の展望デッキは現在のような無粋なフェンスもなく搭乗口のすぐ上まで開放されていたので障害物なしで撮影することが出来ました。
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離陸のため RWY 16R へ進入中。
この機体 B-1866 は 2002年5月に台北から香港へ向かうフライトで離陸 20分後に台湾海峡に墜落するという事故を起こしました。(事故時のレジは B-18255 )
事故原因は JAL123便の御巣鷹山墜落事故と同様に、尻餅事故の際の修理が不完全であったため圧力隔壁に歪みが生じ、最終的に金属疲労によって巡航飛行中に空中分解したものとされました。
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