沖縄弾丸ツアー その16 〜 2012/5/13 旧海軍司令部壕
南部戦跡巡りのラストは那覇市と豊見城市にまたがる小禄地区にある旧海軍司令部壕です。
海軍らしく船のマストを模したようなモニュメントです。
資料館に展示されていた戦艦大和の模型。
資料館を出て壕の中へ降りていきます。
1944年 日本海軍設営隊によって掘られた司令部壕で、当時は450mあったと言われています。カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4,000人の兵士が収容されていたそうです。
幕僚室。この部屋で幕僚達が手榴弾で自決した際の破片の跡が残っています。
それぞれの部屋はそれほど大きくはありません。こんなところに 4,000人もの兵士達がいたなんて信じられません…。
6月4日から13日にかけての日米戦闘の状況図。大田司令官は 6日夕方に辞世の句とともに訣別の電報を打って自らの覚悟を伝え、同日夜には「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を打って後事を託しています。11日午前7時に司令部壕に集中攻撃が加えら、同日夜には司令部壕からの最後の報告として海軍根拠地隊が玉砕したとの電報が発せられました。13日午前1時、大田司令官は自決を遂げ小禄地区における組織的な戦闘は終結しました。
壕内見取り図です。
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